ペガサス秋ラン

「江戸弐拾坂」 1997年11月9日


火事と喧嘩は江戸の華・八百八町に坂多し

 江戸が東京と名を改め百有余年、明治・大正・昭和を経てやがて21世紀も間近な平成の世にも江戸はしっかりと存在し続ける。城・堀・川そして坂が有る、町の名が今風に変わっても当時のままにその名を留める名坂が沢山ある、歴史とロマンがじっくりと染み込んだ急坂だ。
そこで今回の秋ランは、題して「江戸弐拾坂を走る」

 快晴の朝、ピカピカに磨かれたランドナーが続々と集合する、出発はご存知神代村からだ、コース説明の幹事さんが江戸古地図を持ち出している。
 先ずは品川道から、里の面影の残る入間−神明池(現・武者小路実篤公園)、粕谷−芦花公園で「ミミズの戯言」(ワカルカナ?)を聞きながら畑の道をスイスイと。赤堤より北沢川に沿って水辺の道を行く、蛍の沢は静々と清流が地下にもぐると池尻大橋。ここから目黒川土手の桜並木の東に連なる小高い丘に鎌倉街道−目切り坂が隠れている。

 さあ、ここから江戸弐十坂の始まりです、目切り坂は常緑樹の枝が坂道を覆い丘側の高い石垣が大きく巻いていてギヤチェンジの音が響き梢に抜けて行く。登り切ればそこは今様代官山、今日の所は足早に通り過ごす事にしよう。 直ぐ内記坂にさしかかる、内記坂を下り寺院と国立の研究所の森の間を一走りで茶屋坂へ出ます。
 坂の上からの眺めはその昔目黒川の両岸に広がる目黒の里の風景が偲ばれる所、目黒のサンマの話はここが一番好く似合うかも。
 ここに唯一軒あったと謂う茶屋は三代将軍家光のお気に入りで鷹狩の度に立ち寄り、老主人に「じいじい」と声を掛けたそうです、以来爺ケ茶屋と呼ばれるようになったとさ。超急勾配20%も有ろうと云う茶屋坂の美しさを見事な造りの瓦・白板塀が一層引き立てている。

 一旦目黒川まで下り山の手通り「田道・でんどう」交差店を渡り馬喰坂を上がり左へ入って十七坂は下りになる、スベッテ転ぶと十七軒の家を落ちると云う所から坂の名前が付いたと云う、さっき茶屋坂の上から眺めた目黒の里はランドナーでは一っ飛び、金毘羅坂を突っ切れば程なく目黒不動を中心に江戸文化圏へと入って行く。
 おしろい地蔵・蛸の絵が面白い蛸薬師あたりから目黒不動参道は上りになる。五百羅漢の羅漢寺、その奥に海福寺、歴史好きの人は立ち止まって動かなくなるが先がある、気分はスッカリ江戸町人と、一巡り走った所で目黒不動の門前町老舗が軒を連ねる渋い通り、鰻屋の角を曲がると大提灯の下がる山門です。
 目黒不動の名で親しまれるこの寺は古く慈覺大師の創建なる滝泉寺。なるほど裏山からの湧水や独鈷の滝も見られ一同納得。

 一服したら裏山に通じる三折坂に向かいます。山門に近い白井権八・揚巻の碑の所からすぐに登ります。深い木立の中三度折れながら登るので三折坂、気持ちの良い三段上りでした。
 なだらかな小道を行き、甘藷先生・青木昆陽の墓所に手を合わせて急な石段を下り再び目黒川へ出ます。太鼓橋を渡るとそこは名にしおう行人坂、日ごろは雲を下に見るパスハンターも今日は一気登りはお控えなされ、歴史的出来事がいっぱい詰まった坂なのですぞ。
 まずペダルを止めるのがお七の井戸、恋の炎に身も心も江戸市中も焼き尽くした八百屋お七のゆかりの地。目前に見る雅叙苑は罪を犯しあづかりの身となったお七が過ごした明王院があった所だそうです。急坂を登ります、ほどなく右手にズラリ並んだ五百羅漢が目に迫ります、大圓寺です。開運大黒天・国の重要文化財の釈迦如来像、御本尊は阿弥陀様、等々数々の寺宝、そしてお七供養の巨大数珠、お七地蔵、西運上人の木像も。この西運上人こそ八百屋お七の恋人小姓の吉三なのです。お七が火あぶりの刑に処せられた後吉三は僧となりお七の菩提を弔うために目黒不動と浅草観音の間を一万日の念仏行の為にこの行人坂を往復したのだそうです、後に西運上人になった吉三は信者の浄財を資に木橋を石橋に、土の坂だった行人坂を石造りにするなど人々の為に尽されたそうです。行人坂物語はまだまだ尽きませんがまたの機会に譲って沢山の史実はフロントバッグに仕舞って残りの坂を登りましょう。

 目黒駅前はサッサと小走りに、細い道を選んで山手線の踏み切りを越え恵比寿ガーデンプレイスをかすめて広尾へ下る、S学び舎を左に見て広尾交差店へ出ます、森が見えたら有栖川宮公園です。かつて奥州南部藩の下屋敷であった所からここの坂は南部坂、森を囲むようにして木下坂・北条坂、両脇に鉄砲坂と仙台坂と集中します。この界隈かつては大名屋敷で今は各国大使館が並ぶなかを一本松坂へ向かいます。坂を下ると暗闇坂大黒坂・狸坂の出会う処となる。狸坂を登りクルリ向きを変え暗闇坂を下って登って大黒坂を駆け下りて麻布十番に入り、一の橋を渡ればオット狸穴公園。すぐ鼠坂・江戸の路幅そのままにねずみの様にチョロチョロ一気上りの急坂だ。左に折れるとマタマタ急坂・植木坂、いそがしい忙しいこの辺変速技術の腕の見せ所ですな。植木坂の上でUターンして再びねずみ坂へ戻ったら上がった先が外苑東通り(現世にもどっちゃった)。

 狸穴坂はロシア大使館の手前を右へ、狸穴の谷をコの字に走るわけです。左折し国道1号線に出て飯倉へ、この坂が土器坂です、飯倉片町を右へ入ると行合坂です、坂下を右に行くと落合坂、行き会って落ち合う訳です。そこから御組坂につなぎます、旗本御先手組屋敷が在ったのが名の由来。四足でも転びそうな坂を下ると地番は六本木一丁目、しかしココはまったく人気の無い路地裏で野良猫がバッコする異様な一角です。が、廻り舞台がぐるっと回ったように景色が一変します、アークヒルズです。ここから赤坂方面に渡るのには手間取ります。

赤坂二丁目と六本木二丁目の境を右に入れば南部坂です。舞台映画でおなじみ名場面・南部坂雪の別れで有名な南部坂です。鬱蒼とした森が左に見えます、氷川神社の杜、樹齢300年の御神木を始め古木の多い閑静な世界です。神社横の氷川坂を下ると次ぎは稲荷坂、勾配は十分にキツイ、一斉にローギヤに入れる音が。坂の上はしっとりした気持ちの良い小道が続きます、緩いくだりから急に登ります、薬研坂で一気に駆け上がります。少し楽をしているとモー牛鳴坂、あまりの悪路に牛車を牽く牛がなくので牛鳴坂と呼ばれるようになったとさ。牛がラクダに化けた塀を奥へ入ると丹後の守の屋敷が在った丹後坂見晴らしの良い所です。石段を下りて赤坂繁華街をサーッと抜けて大鳥居の日枝神社、山王坂と続き永田町、霞ヶ関地区へと入って行きます。議事堂横を日比谷公園へ下る道が茱芙坂です。

日比谷公園ではランドナーの行列は注目の的となり皇居前のパレスサイドサイクリングロードを走り一ツ橋・淡路町・御茶ノ水へと足早に、ニコライ堂が見えたら幽霊坂、江戸の人はココでユーレーにお目にかかっていました。神田川を見下ろす淡路坂、向こう岸に湯島の聖堂です。再び淡路町に戻って藪そばで「もり」あがり靖国通り九段坂を登ると江戸城内壕は夕映え、千鳥が淵の先に御厩坂、その名のとおり将軍家の厩屋があったところです。歴史民族資料館前がもう一つの行人坂、この付近は三番町で落ち着いた雰囲気の街並みスンナリと四谷見附にでました。

日も暮れました、一同珈琲なるもので一息いれる。

 やおら提灯に灯を入れ夜道を参ろうぞ、迎賓館前から安鎮坂をクイッと上り神宮外苑・原宿・神南と一気に走り、鍋島藩の屋敷跡の見事な庭園でシャンシャンと手〆、後は一路神代村へ狐火が連なる狐の嫁入りは民話の様にユラユラと揺れながら。

 

 目切坂・内記坂・茶屋坂・馬喰坂・十七が坂・目黒不動・三折坂・行人坂・木下坂(北条坂・鉄砲坂・仙台坂)・南部坂・一本松坂・暗闇坂・大黒坂・狸坂・鼠坂・植木坂・狸穴坂・土器坂・榎坂・行合坂・落合坂・御組坂・南部坂・新氷川坂・稲荷坂・薬研坂・牛鳴坂・丹後坂・山王坂・茱芙坂・幽霊坂・淡路坂・雁木坂・九段坂・御厩坂・行人坂・安鎮坂

推定標高差 1,200m(もっと有るかも知れない)


江戸関係のリンク


 総城下町の下絵を訪ねる東京散策ガイド。大名庭園、江戸城、重要文化財、七福神、観音札所を訪ね、江戸の面影を探り、下町、山手を散策する。写真を多数用い読みやすく解説しています。

(いろいろ勉強させていただきました/相互リンクありがとうございます!:Web担当)


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